正直に言う。私も担当外の仕事は基本やらない。
契約社員という立場上、業務範囲はある程度決まっている。「ここから先は私の仕事じゃない」という線引きを、自分の中でしっかり持っている。それを超えた仕事を引き受けることには、自分でも「ここまで」と枠を設けている。これはおかしくないと思っているし、割り切っている。
でも。正社員が同じことをすると、なぜかモヤる。
この感覚、うまく言語化できなくてずっとモヤモヤしていたけれど、最近ようやく正体がわかってきた気がする。今日はそれを、正直に書いてみようと思う。
「担当外」という言葉が許されるのは、誰なんだろう
うちの職場では、「それ、私の担当じゃないので」という言葉を口にできるのは、なぜか正社員だけだ。
契約社員の私には、そんな言葉を使う余地がなかったりする。担当が決まっているようで、いざとなると「ちょっとこれもお願い」が積み重なる。誰かがやらなければならないことは、気づいたら私に回ってくる。
私がいないとき、私の業務は止まる。周りのみんな、やり方はわかっているはずだ。共有もしてある。でも誰も動かない。「〇〇さんがが戻ってから連絡する」という空気が漂って、結果として翌日に「昨日あれ、どうなりましたか」と聞かれる。答えは「誰も対応していなかった」だ。
知らなかったわけじゃない。できなかったわけでもない。ただ、動かなかった。
私の頭の中にあった「役割分担」のイメージ
私の認識では、こういう役割分担だった。
契約社員は、担当業務に集中する。決まった範囲の仕事をきちんとこなすことが求められていて、そこに全力を注ぐ。正社員は、より広い視点で組織を動かす。契約社員がカバーできない場面や、判断が必要な場面で動く。そういう構図だと思っていた。
だから私は担当外をやらない。それは役割分担の話であって、サボりじゃない。
でも現実は、その「役割分担」が機能していない場面がある。正社員も「担当外」を理由に動かないことがある。判断が必要な場面でも、「それはちょっと…」と言葉を濁されることがある。誰がカバーするんだろう。気づいたら私が動いている。
私が休んだ翌日に起きたこと
先日、久しぶりに休みをとった。翌日出社すると、「昨日あれ、どうなりましたか」と聞かれた。
「どうなりましたか」。そう聞かれた時点で、答えはわかった。誰も動かなかったんだ、と。
やり方は共有していた。難しい判断が必要な案件でもなかった。私がいなかっただけで、すべてが止まっていた。
「サポートされる側」と「する側」が逆転している、とはっきり感じた瞬間だった。私の認識では、契約社員は正社員をサポートする立場だ。でも現実は、私が不在だと組織が動かなくなる構造になっている。これって、どちらがサポートしているんだろう。
モヤりの正体は「期待のズレ」だった
しばらく考えて、ようやくわかった。
私が自分に「担当外はやらない」と言い聞かせるのは、契約という枠組みがあるからだ。「契約の範囲内で全力を尽くす」という軸があるから、線引きに迷わない。割り切れる理由が、ちゃんとある。
でも正社員が同じことをするとき、そこには「本来やれるはず」という期待がある。正社員なんだから、もう少し広い視野で動いてくれるはず。何かあったときに拾ってくれるはず。そういう期待が、私の中にある。
その期待と現実のズレが、モヤりになっている。
おかしいと思うのは、たぶん間違っていない。でも、それを誰かにぶつけたところで変わるものじゃないことも、なんとなくわかっている。「なんで動いてくれないんですか」と言える立場でも、言える空気でもない。だから抱えたまま、今日も仕事をしている。
だから私は、自分のコントロールできる範囲に集中する
ぐるぐると考えた末に、私がたどりついた答えはシンプルだ。
他人の動き方は、私にはコントロールできない。正社員がどう動くか、誰が何をカバーするか、それを変えることは私にはできない。
でも、自分の仕事を定時までにきちんと終わらせることは、できる。
だから私は今日も、自分の担当をしっかりやって、定時に帰る。モヤりを抱えたままでも、それが今の私にできる一番まともな答えだと思っている。
「期待」を手放すことは、諦めとは少し違う。現実を見て、自分のできることに集中するということだ。割り切りじゃなくて、折り合い。その感覚が、今の私にはしっくりきている。
同じようにモヤっている人、いますか?「正社員なんだからもう少し…」と思いながらも、言えない。そういう気持ちを抱えながら働いている人に、少しでも「あ、わかる」と思ってもらえたら嬉しいです。
こうしたモヤりと向き合いながらも、私は「定時で帰る」ことを最優先に働き方を選んできました。
定時で帰れずに悩んでいた頃の話は、こちらにまとめています。


