給与明細を見て、そっと閉じた。
隣の席のAさん、今月も残業していた。
Aさんの仕事量は明らかに私より少ない。しかも自分のやりたくない業務はこちらに振ってくる。私はその振られた仕事も含めて、定時までにこなした。なのに、残業代がついた分、Aさんの手取りは私より多くなっていた。
制度上は正しい。働いた時間分が支払われているだけだ。頭ではわかっている。でも正直、モヤる。
定時は「締め切り」じゃなくて「絶対ルール」
私は定時で上がる。ワンオペ育児をしているから、残業という選択肢がそもそもない。
子どものお迎えがある。帰ったら夕飯を作らなければならない。お風呂に入れて、寝かしつけもある。定時を過ぎた瞬間、それらが全部崩れる。だから私にとって定時は、「できれば守りたい」じゃなくて、「絶対に守らなければならない」ルールだ。
残業を選べる人と、選べない人がいる。この違いは、「やる気」や「仕事への姿勢」じゃない。純粋に、家庭の事情だ。
「残業すれば私も増えるのに」という誘惑
頭ではわかっている。残業代は働いた時間に対して支払われるものだ。私が定時で帰ることを選んでいる以上、その分の収入がないのは当然だ。
でも、ふと思うことがある。もし子どもがいなかったら。もし残業できる環境だったら、同じ仕事量でもっと稼げたんだろうか、と。
残業が必要な場面があることは知っている。社会人歴18年、締め切りが迫っていたり、今日中に絶対に終わらせなければならない案件があって残業せざるを得ない状況は、十分理解している。そういう残業なら、モヤらない。
でもAさんの残業は、そういうものじゃない。「それ、明日でもよくない?」という仕事、「今する必要ある?」と首をかしげたくなる内容だ。そして日中、Aさんが何をしていたかも大体わかる。その時間があれば終わっていたはずの仕事を、定時後に「残業」として処理している。それでお金がもらえる。
残業している人が悪いわけじゃない、とは一概に言えない状況がある。残業できない私が損をしているわけでもない、たぶん。でも、なんか、モヤる。
この気持ちに名前をつけるとしたら
不公平感、といえば違う気がする。制度は公平だ。時間を使った人に、時間分の対価が払われている。
じゃあこのモヤりは何なんだろうと考えたとき、「見えないコスト」という言葉がしっくりきた。
私が定時で帰るために払っているコストが、給与明細には載らない。残業できないプレッシャーの中で段取りを組む時間、集中力を切らさないために工夫する手間、昼休みを削って効率を上げる細かい積み重ね。そういうものが、数字にならない。数字にならないものは、評価されにくい。それがわかっているからこそ、モヤるのかもしれない。
ワーママになってから、仕事の速さが変わった
残業できないから、就業時間内に全部終わらせるしかない。優先順位を即決する。ムダな作業を削る。集中力を切らさない。気づけば、以前より仕事のスピードが上がっていた。
「残業できないから最速で終わらせる」。これが今の私の仕事哲学になった。
定時前の1時間、私はかなり本気を出している。誰よりも速く終わらせることに、密かにこだわっている。残業代という形では還元されないけれど、この「速さ」は確実に自分の力になっていると思う。
定時で帰ることを、私は選んでいる
残業代はもらえない。給与明細を見て、そっと閉じる日もある。
でも定時で帰った夕方、子どもと一緒に夕飯を食べる時間がある。「今日どうだった?」と話を聞ける。お風呂で笑える。それは給与明細には載らないけれど、私が選んで手に入れているものだ。誰かに与えられたものじゃなくて、仕事の密度を上げることで作り出した時間だ。
時間を売るか、密度を売るか
残業する人は時間を売っている。私は時間内の密度を売っている。
どちらが正しいかじゃなくて、どちらを選ぶかだと思う。
同じ給与体系の中で、選択の結果が違うだけだ。私が定時で帰ることを選んだから、残業代がない。それだけのことだ。でも、そう割り切れる日ばかりじゃない。給与明細のモヤりは、簡単には消えない。
それでも今日も私は、定時までに仕事を終わらせて、帰る。子どもが待っているから。夕飯を一緒に食べたいから。それが今の私の、いちばんまともな答えだ。
同じようにモヤっている人、いますか?

